2022-01-02

自分を信じて頑張る

「自分を信じて頑張る」という言葉の薄っぺらさ。ほとんど小中学校でしか聞かない標語だ。むしろ信じないのが責任ある大人というイメージすらある。

社会では圧倒的に自分を信じないことの方が求められる。「朝起きる自分」は信じず目覚ましをかける。「いつかやる」自分は信じずタスクリストに入れる、カレンダーに入れる。「今週中に終える自分」も信じずバッファを取る。

自分を変えるにしても、周りの「人」か「場所」か「時間」の使い方を変えろ、という。そして自分を変える!という意思に頼るのは最たる悪手だとされる。

やる気が出ないときも自分のせいにはしない。睡眠不足のせいであり、運動不足のせい、あるいは部屋のCO2濃度のせいにする。自分の状態、あるいは環境に原因を見出して改善を図る。

そうやって「できない自分」の要因をどんどん外部化し対策していくと、自分が自分ではなく、何か上手く制御すべき対象のように思えてくる。意思を持って取り組んだり、心で踏ん張るときの力み方を忘れてしまう。20代はむしろ前のめりに取り組んできた「自己制御」の類に、最近は得も言われぬ危機感を覚えるようになってきた。

自らの意思を無視して「やりたくないこと」に対する心の制御を繰り返すと、意思を持たない方がいっそ効率が良いことに気づく。あらゆることへのやる気を失ってしまう。意思のサポートであったはずのものたちだけが残り、その弱々しい波間を漂うだけになる。でもそれは決して大した推進力にはならなず、次第に鈍って停滞していく。

いつしか「何がしたいか」ではなく「自分をどうしたいか」だけで思考し、施策を講じようとしていることに気づく。「なりたい自分」を設定して向き合うこと自体は悪くなさそうだ。でもそれだけでは、何か大事なものが欠損している気がしてならない。

これに対しては、心の機微に目を向ける以外にできることがないように思う。したいことと同じくらい、したくないことも気に留めたい。曖昧な状態も許容し観察したい。心のありように目を向け、柔軟に動けるようにしていたい。

そうなって初めて、頑張るという意思にも健全な推進力が生まれる気がしている。

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