2014-12-25

一年目

・フリーランスになって1年。
 相変わらずの自転車操業ですが、なんとか食い繋ぐことができました。サイトに上がっているのは六つほどですが、この一年で四十ほどのご縁がありました。こんな若輩者と一緒に仕事をしてくれた皆々様、ありがとうございました。

 一方で声をかけてくれたのに、それに応えられなかった方々、ごめんなさい。主にスケジュール的な事情でしたが、想像以上にこの状況が多く、どう向き合っていけば良いものか悩んでいます。毎度「こんな奴を頼ってくれただけでもありがたいのに、お断りするなんてとんでもない…」と悔しさが込み上げますが、映像という仕事の性質もあり、一人で一月にできる仕事なんてせいぜい二つか三つ。まだまだ人を雇ったり教えたりするお金やスキルの余裕もありませんが、一人でやることに限界を感じるのも事実です。

 どんな形かは分かりませんが、一緒に働く人を探すことは、来年の課題の一つになりそうです。

・引っ越すことになりました。
祐天寺から、南阿佐ケ谷へ。実家を出てから三度目の引っ越しですが、毎度新居は職場からチャリ圏内と決めているので、今回は悩みました。一年くらい。家にずっといるようになったので、少し広さが欲しくなり、初めて寝室を分けられる家にしました。数年間は無縁だったテレビも、ついに置けそうです。周りはお寺が多く、徒歩圏内の善福寺川緑地で春を見るのを楽しみにしています。
 会社を辞めてからもなんとなく気持ちに区切りがつきませんでしたが、新生活とともにきちんと切り替えていければと思います。

・朗文堂の新宿私塾に通い始めました。
来年春まで続きます。美大や会社での研修等も経験がなく、この手のことを人から教わるのは初めてかもしれません。はじめは文字コンプレックスが克服できれば… という弱気な動機で入りましたが、もやもやしていた知識に知識で芯が通り、その先にある世界に枝葉が伸びていく感じが今は素直に楽しいです。既に終わってしまいましたがTDCの希望塾にも合わせて通ってました。すっかりハマってしまったので、(技能的に成果が出ているかは疑わしいものの)文字漬けはしばらく続きそうです。

来年は仕事とは関係ない映像もじわじわ進めようと思っています。
風邪が周りで鬼のように流行っているので、みなさん体にお気をつけて、どうか良いお年を。

2014-05-10

ゆったりと。

先週末、友人とICHIHARA ART x MIXへ行った。「晴れたら市原、行こう!」がコピーなのだけど、その日はずっと雨時々曇りで、それでも想像以上のロケーションで満喫できた。田園風景にすっと伸びる線路と、ちょこんと乗った短くて鮮やかな車両。終点までの1時間で、電車は通過する風景を見事な絵葉書に変えていく。小湊鉄道と言って、鉄道写真家の人たちの間では有名らしい。イベント自体はこれに乗っては数駅で降りて、点在する展示を巡ることになる。

千葉の市原は、結構な田舎だった。
自分は千葉出身でありながらわりと都心近くに住んでいたし、今も東京に住んでいて、いわゆる田舎というものにあまり馴染みがない。電車も一時間単位で待つし、最寄りの駅から各展示の会場へもkm単位で歩く。時間的にも距離的にも、間隔の感覚が全くいつもと違っていた。

途中で、何となくイベント構成を見た時に想像した、見て、移動して、また見て…というテンポは、その土地のそれでは無かったのに気付いた。実際、巡った半日では全体の半分も見れなかったのだけど、それよりも普段の自分のテンポが早いのだと分かって、何となく嫌気がさした。日本全体で見れば、きっとこちらがイレギュラーなのだと思う。

話は変わるけど、少し前に見たツイートが頭に残っている。この方の意図と合うのかは不明だけど、ずっと抱いていた東京という場所にまつわる密度の高さへのもやもやを、つんと突かれた感じがした。こんなに密集した土地で、情報も溢れるくらい浴び続けていて、でもお互い分単位で予定を詰め込み合って、みんなが時空の隙間を探すことに忙しい状態は、どうにも落ち着かない。

ここ数年で周りを見てると、Google CalendarとLINEは密度の目盛りをもう一段細かくした気がする。FacebookやTwitterみたいな自分から隙間を埋めるものと違って、向こうからプッシュされて、拘束してくる。本来、人は年中分単位でなんか動けない気がするけど、これらはそういうことすら可能にする。個人的には、道具として少し怖い。

たまに自分で詰め込みたいこともある。でもずっと東京暮らしの身でも思うくらい、周りの人の生活密度はおそろしく高い。昼や夜、平日と週末とかって、電車の来る間隔のような、ある意味で強制余白みたいなものだと思うけれど、そういうものすら機能してない。スターバックスや映画館は余白かもしれないけれど、真に「無」の時間が日常の中に点在する人はほんとに少ない。「無」が無いと不安になる感覚を、あまり共有できない。

かといって市原に住みたいかというと違うし、東京の好きなところもたくさんある。でも場所って何よりも自分に影響すると思うので、いつか心地よく暮らせる場所を見つけたい。あとできれば今は、いろんな場所を試してみたい。

2014-03-03

ごはん 1

会社を辞めてからは、基本的に作業は自宅。もうずっと家にいる。
でもごはんの時はきまって外に出る。料理はめっぽうだめなのだ。

実家を半ば追い出されるようにして出た自分だけれど、一人暮らしには思い描いていた憧れがいくつかあって、料理もその一つだった。何かが食べたいというよりは、食の自由を得るスキルと、それに付随する生活習慣への憧れ。早速「ひとりごはん」系の料理本をいくつか買って、選り好んだ道具を揃えた。でも当時はそのちょっと先まで行った所で手が止まってしまい、次第に冷蔵庫は飲料のみの倉庫と化し、台所に立つことはまずなくなった。

料理の習慣化は思ったより難しかった。

朝はパンを焼いたりしたけど、基本的に平日は食事を職場周りで済ませていたので、食材の買い置きはできない。チャンスは週末、ふとお腹がすいた昼か夜。「う、お腹すいた…。」と思った後、お米を研ぎ、本を読んで食材を揃え料理を完成させて「いただきます」の挨拶まで早くても1時間はかかる(それもおかず一品とかで)。空腹で胸のタイマーが鳴り出したような状態から、先の見えない旅に出る覚悟がまず要る。

そこを乗り越えたとして、次にお弁当の誘惑が待つ。スーパーへの買い出しで嫌でも目にする出来合いのお弁当・お惣菜。これが超おいしそう。今これを買えば、確実に、幸せに、すばやく、リーズナブルにおなかを満たせる!これは本当にすごいことで、たとえ誘惑を断ち切り前に進んだとしても、これらは全く保証されないからだ。

まず一人分で一食分の材料を揃えようとしても意外と高い。久しぶりの料理なので、家にはめんつゆ/白だし系もなければ、ごま油・オリーブオイル系もないし、小麦粉・片栗粉の類もない。クックパッドで「軽く加えときます♪」みたいなデフォルト扱いされる品々も重なると地味に辛い。下手に重なるとすぐ2000円に届く。弁当どころか、この金で食べれる輝く外食メニューのフラッシュバックにレジで抗い続けることになる。

そして台所。ここからが本当の戦い。滞り無くレシピ通りに事が進み、美味しい料理に出会えると思ったら期待し過ぎも甚だしい。量や時間のさじ加減、ほんの一摘み間違えただけで食材達は不穏な顔色を示す。対処する技術もなく不安を押し殺しながらも進めると、仕舞には目も合わせられないような形相でプレートに並ぶ。ああ、本当に不味い。

テンションの高さで腕をカバーした時には大抵量とバランスを見誤る。空腹の絶頂、やっとまともに完成したと思ったが、食卓にドンブリ山盛りのポテトサラダしかないと気付いた時の絶望感たるや。量は足りるが、冷たいジャガイモだけで腹が満たされていくのは途中泣きたくなった。でも食材はそれっきりだったし、例えあったとしても並行して作る腕がない。何もかも、道のりは果てしなく思えた。

散々時間とお金をかけて、勇気を持って進んだ結果が、このマズメシ。貴重な週末の一食。これを糧にモチベーションを保てという方が無理というものだ。野菜を切って小分けに冷凍、みたいなこともしばらく試したけれど、美味しく解凍できないし、それを出して食べたいという気にはやっぱりならず。

そんなこんなで当時、家で食べることはほとんどなかった。


(たぶんつづく)

2014-02-15

祖母画集

実は今日、個人的に1年かけて少しずつ進めていたプロジェクトがようやく終わったのでした。
(結果的に1年かかった、というのが正しいけれど)
本当に嬉しい。




これ、自分のおばあちゃんの画集です。
自分の祖母は書道をかれこれ40年以上やっているのですが、今年で喜寿を迎えるとのことで、人生の節目に何かしたい!と1年半前あたりに相談を受けました。最初は寺を貸し切って個展する!なんて意気込んだりもしてましたが、結局もう少しこじんまりと、画集を作ろうということに。転機となったような受賞作品はもちろん、夫や孫に贈ったものや、ちょっと思い立って描いたイラスト、実際の制作風景写真なども掲載して、作品を通して祖母の人間や生き方が伝わるよう工夫しました。

制作するにあたって、自分が祖母の経歴を知らないことには始まらないので、まずは自由に載せたいものを聞いていくことに。祖母の話はあっちこっち行くので、話からピースを拾っては整理していきます… が、その中で出るわ出るわ、作品の山。一向にまとまる気配がないので、やっぱり片っ端から撮影していくことに。古い倉庫の奥から発掘したものを庭に貼り出したり、親戚の家に出向いて掛け軸を外したり、巻物をスクロール&スキャンしたりしながら、何とかデータが揃いました。東京大阪間、計五往復くらいした気がします。。(祖母宅は大阪。帰省ついでもあったけど。)

毎度、祖母宅でその回の撮影を追えると、東京へ持って帰ってはデータ整形をチマチマ進めました。撮影時には照明もセンチュリーも無い状態なので、ひとまず出来る限りのことをしてあとは補正を頑張る方向に。現場で必死のDIYも虚しく、結局半紙はしわくちゃだし、保存状態はひどくて折り目だらけだし、撮影データはやはりひどい状態。これを丁寧にデータ上で歪みを伸ばして繋げていきました。面倒ながらこういうのは楽しめる性分で、仕事の合間に息抜きで一枚、という感じで無事完遂。半紙の白をしっかり白に飛ばしつつ、滲んだ墨の階調をCMYK混合の黒に最大限マッピングする、みたいなチャンネル操作も新鮮で面白かった。

最後に台割を固めて本としての体裁を作っていくのですが、PDFを送って確認というわけにもいかず…、やはり大阪へ出向いて一緒に話し合いながら進めることに。無事全ページの内容が決まった日が本当に嬉しかった。後から必要なテキストは郵送などで手書きをもらって文字起こし。



無事、いろんな人に安心して見せられる状態でお祝いに間に合い、ホッとしています。

ちなみに画集制作の取材?を通して何度も驚いたのだけれど、この人のエネルギーは本当に凄まじい。娘の通う、よくある学校のPTA的な一行事で書道と出会い、それからもう40年以上続いてる。毎年いくつのも展覧会に出すし、審査もするし、自宅で書道教室もやるし、それでも飽き足らずプライベートでもとにかく書く。1人で百人一首を全札描いたり、オリジナルの巻物を携えて四国八十八箇所を写経しながら3年かけて渡り歩いたり、研修旅行として海外に何度も出向いたり、そういう活動をひっきりなしにしてる。一方で家に篭もって墨を自ら作ったり、新しい筆の使い方を研究したり、手紙代わりに書を贈ったりも意欲的にする。膨大な作品アーカイブと、それぞれの逸話に圧倒されながらも、少しでもその生き様が伝わるように、ほんの少しずつ作品に文を添えた。到底、病弱の祖父と3人の子供を見ながらの活動とは思えなかった。

一方自分は残念すぎて、書の良し悪しが分からないどころか、普段書く祖母の字は(実際に)達筆すぎて読むことすらできない。でも自分にも分かる形で明らかだったのは高校生の頃、初めて見せたペンタブに驚く祖母が、それを手に完璧な筆圧でスラスラと短歌を書いたのを見た時。弘法筆を選ばず、を最高の形で体現されて、度肝を抜かれました。

そんな祖母の手が生み出す作品群を、紙面上では特に未熟なデザイン力で精一杯背伸びして、何とか形にまとめました。その道の人には見せることすら億劫な拙作ですが…、祖母の人間により深く触れることができ、彼女がその過程と成果を喜んでくれて、幸せな制作に携われて良かったと本当に思います。

2014-01-22

リニューアル

もう2週間弱経ちますが、サイトをリニューアルしました。

ひとまず駆け出しのフリーランスとして「こんなことしてました!」がきちんと伝わるサイトを目指しました。無駄にCargoを少しダサくした感じになりましたが、これでも初めてWordPressのテンプレートをスクラッチで作っています。。年始休み、実家のソファでお笑い見ながらチマチマ作りました。

コンテンツ的には、ここ1年くらいのお仕事をドサッと載せられたのが大きいのですが、合わせて過去にやっていた実写編集系やモデリング仕事なんかも追加しています。

良いのか悪いのか、映像というものに色んな関わり方をさせてもらった結果、もはやモーションからずいぶん離れてしまっているし、実写編集やコンポジットだけでも意外と楽しかったりして、モーション!インターフェース!な趣味全開サイトでは自己紹介にならないと気付き、思い切ってフラットに色々載せてみました。仕事上での肩書はウェブ寄りだったのも重なり、ご一緒した仕事によって人から持たれている役職イメージが見事に千差万別で自分でも混乱しますが、変わらずお役に立てそうな所でお声がけ頂ければ幸いです。

ただ、やっぱり変わらずモーションが好きなのと、ゆくゆくは局所的に頼られる存在になりたいと願いを込めて、名刺の肩書はこっそりモーションデザイナーとしてみました。なれますように。